2020年4月30日木曜日

20200430 Dürer & 測距儀 開眼02a4 イメージの箱庭世界から変形へ


https://togetter.com/li/1501206
https://goodnotezionadchat39.blogspot.com/2020/04/20200425-durer-02a3.html
の、続き







xy平面に描いた y=x^2のグラフ


x軸が 時間軸なら
一定時間毎に増加する細菌数かもしれない




細かいこと言えば 最初の細菌数1とか
最初の細菌集団の細菌数 a個を 1として扱うとか
指数関数の掟みたいなことは

数字の話をしたいんじゃないんで
数学や物理業界 作法の 細かいことは無視させてもらう




いま 注目してもらいたいのは

「形(かたち)」に関すること

一定時間毎の細菌数をグラフにすると
時々刻々の細菌総数 点位置群を繋いで

曲線で 描いている




曲線は ヒトの感覚で扱うのは難しいので

手に持った錘(おもり)の重さ変化とか 
デシベル 音の強さとか

重さ自体は倍々の重量を 123・・・
音のエネルギー自体は 10倍だけど 123・・・

ヒトの感覚に沿うように 数字番号を
物理的定量とは別の数字番号 割り当てる




同様に 数式を微分して 
直線で グラフに描けるよう加工する









座標世界で ヒトに気付きやすい形にして
ヒト感覚で変化を認知しやすいように加工している

アニメーションなんかも 実写映画やドラマと違って
情報量 落として

脳を休めながら 抽象的なパターンや
ストーリーに没頭できる感じ




注目してもらいたい要素以外を削(そ)ぎ落とし
残った要素の動きに より脳の演算を

使ってもらおうとしてる感じ




曲線を描くことは脳にとって負荷だ
だから 微分して直線に加工した

動画を静止画にするようなもの








人工衛星から見た地球は こんな感じて回転してる
静止衛星なら 同じ場所を見続けるけど

地球の自転速度と同期してないと
地表面が回転して見える





スケッチするのに
設計図 描くのに

建物や 六角ナットが 動いているのを
スケッチや設計図に描くことがない感じで



六角ナット 設計図







設計図を書いてる自分

対象である六角ナットだけに意識集中して
数学者のように 思考してる自分を 数学空間から疎外している

生物学者や ホンモノの社会学者なら 自分もその環境の中にいる





ちゃんと書いとくと

集合論とかの数学分野なら
雪山で パーティーメンバー 数えてる自分自身の意識と
自分身体を別々に数えるかどうかとか やっているのだろう








建物は地表に固定されていても
地球自体が自転してるし
公転もしてる

でも、列車が線路レールに対して動いていても
列車慣性系では 列車側面の正面図 三面図のが

当然のように採用されてる
正面に見える列車側面に思考視野集中 思考視野狭窄



列車慣性系のイメージ図で思考するときは
列車側面輪郭線の外の風景

列車の外の物体群 線路レールとか 踏み切りとかが
流れ過ぎるの意識しないで

六角ナットだけ 設計図に描いているような感じで
六角ナットが どこで どのように使われるのか意識しないで

形だけで 設計しているような感じ



一方 線路慣性系のイメージ図で思考するときは
地球そのものが 動いている地動説 以後の時代なのに

線路慣性系を天動説扱いして
天文学からの知見 光行差を取り入れず



地上から垂直に放った光は 真っすぐ真上に

えっ、地球は自転してるのに
地面に垂直に突っ立ってる電信柱に沿って

光が進むと 思い込んでる 

これが設計図 頭





枠組み設定する前に
大事なこと見過ごしたのが アインシュタイン氏

数学かぶれでは 気付かないことを
長々 数学に慣れた思考視野集中状態のママ

視野を拡げる作業をしてる

瞳の縁(ふち)の外
いま見えていない周辺

そこに想(おも)いを馳せる作業






ヒトは 動いていない状態 求めて
観察対象を 静止画にしたり

座標上で直線に描けるように
量の変化や 長さの変化を 加速度の変化を

微分で求めて 直線という静止画っぽいものに作り上げる





アニメーションは 実写映画とは違う 偽物だ

要素を削ぎ落し
残った複数要素の中から 

1つか2つの要素を誇張したりする

目を大きく加工したり
髪の色をピンクに

髪の色は 日常のヒトもカラーに染めたりしてるけど




ホンモノとされる素材の一部を大きく描いたり
一部の色を変えたりして加工する

女性の場合は化粧なのかもしれないけど

統計データを わかりやすいように見せる為に
棒グラフ使ったり 円グラフ 使ったりするように

ユークリッド幾何学 使ったり
非ユークリッド幾何学 使ったりと同じように





デカルト座標で空間認識してたのを
ガウス座標と呼ばれてるらしいけど
私は数学 知らんので

複素数使った空間座標で
アインシュタイン氏 提唱の 光を基準に世界を描くと

デカルト座標での 各慣性系を 
統一的に 同時刻で 扱えるようになるんだ





ちょい200年くらい前までは

地球上の各地の お昼の12時 正午は
地球上の各地で 太陽が南中した時刻だった

地球上の各地で

太陽が昇って 正午になるまでの時間と
正午から 太陽が沈むまでの時間は 

ほぼ同じ長さに感じる 時間だった





でも 地球の各地で通信し始めると
時刻の同期 必要性が高まって

地域毎に 標準時

日本列島なら 明石市


日本標準時子午線 wiki





だから 沖縄にとっては まだ太陽が南中していないのに正午
一方 北海道 根室じゃ 太陽の南中は終わってるのに正午

厳密には 日本列島の各経度で 太陽の南中時刻は決まるのに

日本列島どの位置点でも 同時刻正午という 社会的決まりで
自然の行い 太陽が最も一日の中で高い時刻を無視して

社会的同時刻 で 塗りつぶした






イメージの世界ってのは
太陽が最も一日の中で高い時刻が正午だったんだけど

自分の立ち位置の 位置点の

それを日本列島という有限範囲を同時刻で塗りつぶす要請によって

自然イメージの太陽南中時刻から
社会的決まりの明石市の日本標準時に

数学の座標みたいなとこに なった













これは 列車先頭車の側面イメージ


この先頭車イメージに
観察者を描(か)き加える








先頭車と観察者の相対速度0
設計図 頭レベル

設計図頭ってのは、頭の中でだけ相対性を考えてるレベル
机上の空論してる理論物理学者や 高校の物理教師レベルのこと

設計図 頭レベル 机上の空論レベルの空間認識で
まだ しばらくは話すよ

複素数 使う前の準備作業 丁寧





列車先頭車側面中央から 観察者の位置点まで
光が届くのに1秒かかった

列車先頭車側面先端から 観察者の位置点まで
光が届くのに√2秒かかった




観察ってのは 近接作用の電磁現象
光が ま、ここでは古典力学での光線 

直線で進む光線としておくよ

量子力学のことは 複素数の地図提供できてからの話だから




列車先頭車側面各部を
地球表面各地の 200年前の太陽南中イメージ
「正午だ お昼の時間だ 飯にしよう」の

太陽を時計にしていた農作業していたヒトのイメージと

比較してくれ











赤で描いていた観察者を

ほぼ同じ位置に居る 黄色と青色の2人の観察者に
描き換(か)えた


黄色観察点小人は図の真上 12時方向 見てる 
青色観察点小人は1時と2時の中間 方向 見てる 





観察方向っていう 重要なテーマが 出てきた

ガリレオ先輩の相対性は
動きに関するものだった

電磁現象世界の相対性では
観察方向と 抽象概念レベルでの回転が テーマになる





200年前の農作業の方は
ほぼ点として太陽を見てた

太陽は シリウスとかベテルギウスと違って
お月様と同じで 大きさあるけど

ここでは点として扱って

同じ位置から太陽を見れば
太陽から届く光は 同じだけ時間が 経過したもの




でも 太陽が 列車先頭車のようになって

列車側面中央を見ている黄色観察点小人と
列車側面先端を見ている青色観察点小人は

太陽の別の位置を それぞれ見ていたようなもの

太陽が 点から 大きさ・形を持つと




列車側面各部が 現場で 同時に 同時刻発光しても
観察者の位置点に届くまでの経過時間が違うよね

1秒だったり
√2秒だったり

観察対象の太陽だったり列車側面を
古典力学の質点のような扱いしてては





折角のアインシュタイン氏の提唱

世界を 光基準で描く目論見も

観察の定義とか 前処理しないで 意識化しないで
頭の中の 数学かぶれのxy平面座標や
その拡張したxyz空間で思考していては



200年前くらいの農作業の方の 正午感覚と
現代の 通信での地球表面どこでも同時刻感覚

自然を時計にした 時刻定義(古典力学質点相当)と
地球表面どこでも同時刻の時刻定義(量子力学とか 場の量子力学 相当)

ごっちゃにしてるんだ




言語能力だけで 数学やるなら構わないよ
数学は 頭の中の規則だ

でも 時間や 時刻を 扱う物理は

光に包まれてるものが データを集め
世界を妄想し 納得いけば この世を仮のものとして

幻想できる手続きなんだ
時代 時代のね





で、社会的要請の時刻と同じことしてる

物理なら 量子力学研究者が 実験で使ってる時刻
実験装置空間のどこでも 同時刻のハズしてるに対し




光映像が見えた瞬間から逆算して
現場時刻を求める 日常の普通の人々

各地の観察者複数からの報告
(太陽が いま 南中したを 即 電報する歩哨さん達)

電文が各戦場から集まってくる作戦室




研究室の量子力学実験物理学者さん達の 
頭でっかちの 思い込み同時刻主張

物理学者は カエサルのように王でもないのに
時刻の扱いを宣言なしに
思い込みのママ 手続きなしで実験装置空間を

同時刻で塗り潰してる




数学者が 時刻を点に 時間を長さ幅にするのは
構わないよ

実験装置の大きさを
数学者が提供してくれてる幾何座標に
描き込むときの 必要性と 手続き手法が

テーマ





その必要性理解なしに
複素数とシステム 仕組み見せたって

驚きしない

空間認識のパラダイムシフトを味わうには

必要性理解が 必要なの



地球表面がどこでも同時刻
同時刻に実験すれば どこでも同じ条件だと思い込むレベル

実は太陽の光が やって来る方向が 場所場所で違うようなことを
無視して成り立ってたのが

ちょい思考視野拡大するれば
整合性ないを露呈する特殊相対性理論だった

実験装置を包む周囲環境との整合性見ないのに必死な 20世紀物理頭と
量子力学とされてるものの 同相性




量子力学の実験空間を 座標空間の無限性と思い込んで
20世紀 物理学者が 失敗した時刻扱い

一方、現場の光映像イメージを報告する歩哨さん達の時刻扱い

この2つを同時に扱えるのが

情報将校 なんだ




量子力学の実験やってる方々の方が
社会的に要請された時刻の奴隷で

戦場で現場を光学観察した歩哨さん達の方が
イメージからの ナチュラルな時間感覚の時刻

逆のように感じるかもしれないけど





20世紀に物理やってたオツムは かなりバカなんで

20世紀に物理やってたなんてのは 自然科学者じゃない
工学(エンジニアリング)や医者の方が 自然科学者

20世紀に物理やってたのは自然科学者じゃなく
法律家か 会計士 のようなもの 言葉しか見てない

実際の法律家や 会計士は 実務だろうけど 
社会の仕組みや そこで生きる方々を見るけど



20世紀に物理やってたオツムは
社会的に決められた時間時刻の扱い方しか知らんまま

アインシュタイン氏の先駆者としての
ちょっとしたケアレスミスを指摘できんで

その凄さを知覚できんかったの






ガリレオ先輩から
ニュートンで

なにが変わったか理解できんオツムに 用はない




すごい ちょっとずつ
説明を続ける

今回はここまで






では復習







https://twilog.org/zionadchat/date-200331




この世界を視野範囲内しか 同時観察できないヒト観察器械

視野範囲内の現場表面各点から同時刻に発射された光線は
ヒトの瞳(ひとみ)には 同時には届かない

設計図頭レベル での結論




正方形だと思われる 中学校のパネルが
台形に見える
 
具体的な日常世界では 遠近法的なイメージ




この遠近法的な写真イメージを

昔の人は
一点透視図法や
二点透視図法 等々で

平面図に描いた





古代エジプトの横向き顔も
訓練された書記官による 速記文字のようなもの
加工されたもの 決まり事を守って描かれたもの

ベースに
ユークリッド幾何学を使って 描いたり
非ユークリッド幾何学 使って 描いたりするようなもの




文字がある

行書体
楷書体
速記文字

描かれたものは それぞれの手法によって

同じ「あ」とされる文字が 別の形で 描(えが)かれる





数学の各分野で 解法が 

三角関数 使ってだったり
微分積分 使ってだったり

ルートは いくつもあるようなもの




こういう手法違いでの変形を

座標世界と呼ぶ 俺

一方、 立ち位置によって
正方形パネルが 台形ぽく見えたり
大きさが違って見えたりするのを

日常世界と呼ぶ 俺






https://twitter.com/timekagura/status/1175957644374204421





等速直線運動の直線 デカルト座標での直線を
複素数の世界で 半円円周みたいなものにして
表現したって いいじゃないか 

にんげんだもの みつお(オリジナルは みつを)
https://amzn.to/2VVDuwg







一方、3次元空間内に存在する球体な地球

それを相似形のママ 地図にすれば 地球儀
携帯性ないので 平面地図に加工すると

メルカトル図法や
正距方位図法 など

なんらかの欠陥 歪(ひずみ)を持った地図になる




日常世界での 観察行為で
正方形パネルは 台形に見えた 

座標世界で 地球表面を地球儀じゃなく 
平面地図にすると

形(かたち)に歪が出る







歪は出るけど 平面にして 歪は出たけど
地球表面どこでも全部 一覧性で 描ける

一方 人工衛星という立ち位置から見ると
地球の半分くらいしか 一度に見えない




座標世界での 加工変形と
日常世界での 遠近法的な 見かけ変形の違い

日常世界では 裏側と表側が発生する

観察の視線方向に
















仮に ホントウの形というものが存在するとして
まずは 話を進めるよ 。。。

あとで 最後に話が反転 ひっくり返るのが
パラダイムシフト 空間認識の話だから

まずは、貴殿の思ってる常識的な空間認識ベースに
話を進める





英語で that節の中の 動詞は 原形 とか だったかな

動詞は 人称や 時制で 変形する
これが採用するベース違いの影響

ユークリッド幾何学世界内で
非ユークリッド気が学世界内で

同様に

デカルト座標世界内での形
複素数 使って 動きの状態を静止画的に表現する世界での形





人称や 時制が 関わる前の段階


サイコロをイメージする

三面図の6方向からの1つの面を描いたり
斜め俯瞰から描いたり する前の段階

それが 動詞の原形




アインシュタイン氏が
行列式で ローレンツ変換 を

2次元座標や 3次元座標
時間軸 加えて4次元座標にする前の

光子存在そのものや
光子の一定時間の軌跡や
列車や 線路ーレールの形

座標(人称変化や 時制変化で 動詞原形から変形され記述される)
に描く前の 形イメージが 動詞の原形に相当する 「形そのもの」



1. 動詞の原形を考える
動詞の原形って一体何なのでしょう?
動詞の原形は、現在形でもなければ過去形でもありません。
http://katsu8-blog.com/2020/01/01/%E5%8B%95%E8%A9%9E%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%BD%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%88%E3%81%86/
最強の英語学習ブログ




動詞の原形は、現在も過去も表しません。

動詞から「時間」を差し引くと、その残りは「『○○する』とはどういう動作なのか?」という「動作の概念」です。








動詞って 動いてる状態を 言葉単語にして
静止画ぽいものにして指し示して

動き概念を呼び出す記号

それ自体には 時制や 誰が その動作をしているか
含まれない




線路慣性系だの
列車慣性系だの

受肉化する前の状態から 考えようぜ




封印列車の中のヒトは
防音され 防振された 封印列車の中のヒトは

自分が駅ホームに停車してるか
走行中なのか 知らない

そもそも 線路レールは地球上で
地球は太陽基準で動いているけど

太陽は絶対基準じゃない
銀河系グルグル
銀河団グルグル



だから 地球の動きを検出できるのは 光行差だけ
アインシュタイン氏の画期的 提唱

光を基準に世界を記述するってのは

線路慣性系を天動説にしたり
列車慣性系を天動説にしたりすることじゃないぜ



先駆者のアインシュタイン氏は 
無意識では理解しても
言葉意識では 先人故に突破できない

ガリレオ先輩が 望遠鏡で木星 見てると
ガリレオ衛星 4つが

木星を廻ってると絶対視したように



そのガリレオ先輩は 望遠鏡を
1時間に ほぼ15度回転させながら

常に 木星を 望遠鏡視野中心に捉えようとして
木星イメージを静止画にしてたのを




動詞の原形に 触れるってことは
西洋言語でさえ 難しい 難しかった

ニュートンの万有引力の 重心概念



















一方 立ち位置によって
見ているものの形や 大きさが変わり

博多駅で起きた事象を
京都駅と東京駅の 別々の観察者は
同時刻に 別の印象イメージを感じてる その変形の話

博多駅での現場事象の形は 1つ

でも、電磁現象の近接作用で拡がった情報を受け取る各地で
現場事象の形情報が 変形する話



座標世界と
日常世界の話は 

これで なんとなく雰囲気 わかっても もらえたとする

数学っぽかたり 社会的要請ぽい 手続きの表現変形の 座標世界

光を感じる瞳(ひとみ)を持った身体の立ち位置での見かけ変形の 日常世界






では、動詞の原形みたいな イメージの形ってなんだろう

立ち位置からの視線を使って サイコロを何度も見た
でも、1から6までの面を 同時に見た経験はない

サイコロ 立方体の6面を1方向から見た経験はない




サイコロ 立方体の1面だけを 側面図として抽出すれば
xy 2次元座標に 描ける

この1面だけで思考して流布してしまったのが
アインシュタイン氏の特殊相対性理論という欠陥商品

でも、アインシュタイン氏の提唱 その本質は生きている




3次元座標に サイコロを描けば 立体設計図となる

設計図ってのは、対象を動かない静止画に貶(おとし)める

動きってのは、対象と背景の関係
列車と線路レールの関係



でも、四ツ谷駅から市ヶ谷駅や飯田橋駅へ進む
中央線オレンジと 総武線イエローが

ほぼ同じ速度で進むと互いに相対速度0

でも、光(ひかり)さんは どうなんだろう

頭の中では 自分の乗っている列車内を
光は床から天井に 真っすぐ進むと思ってる





でも、光行差で 地球という名の列車速度で
斜めにしないと 望遠鏡を斜めにしないと

夜空の お星さまが見えない

この思い込みは 俺の過去ログ 読んでる方は
すでに 認めてもらったとする



疑うべきは 走っている速度によって
列車に乗ってるヒトが思い込んでいる列車形状が

変形していることかもしれない

でも、列車を構成する各原子と
列車内の観察者のヒトを構成する各原子の
相対速度0とした場合

列車形状は 変形しない





サイコロは 立方体のハズの思い込みは
デカルト座標を使ってたからに過ぎない

人称とか 時制によって

サイコロの原形が 変形されたに過ぎない





動きの世界で 列車速度の違いにより
傾けなきゃならない角度の違いが発生する望遠鏡

動きの世界で
光の動きを現(あらわ)すには

単数形の 人称とか 時制じゃなく
複数形の 人称とか 時制で変形する 動詞の形

その手法が 単純トリック




俺は単純トリックが公知になるまで 暇じゃないんで
アフォーダンスという哲学分野を 詳細に検討できんのだが

包囲光が 近いかな



アフォーダンス(affordance)とは、環境が動物に対して与える「意味」のことである。 アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンによる造語




アフォーダンス 包囲光





サイコロの部分しか 見た経験ないのに
経験を積み重ねて

いつの間にか 3次元座標空間に サイコロを立方体として描けるし
建築設計図の三面図で 6方向から 数字が6つ描ける




座標なしで 頭の中で サイコロを軽くイメージする
見てる方向意識すれば 遠近法ぽい変形した形に
数字が最大3つ 同時に見える気分

このとき 日常世界と違って
サイコロだけイメージしてる



サイコロの周辺に比較対象物が見えない
これが純粋イメージ

日常のサイコロは 机の上にあったり
机の肌理(きめ)を背景にして

背景イメージに包まれている
サイコロだけ抽出してイメージしたのが
純粋イメージ





観察者である立ち位置も 不明確

サイコロと
観察者と


この3つの静止画から
3つの動きが 互いにバラバラのときの
相対性を描くのが 電磁現象世界の相対性





当然 サイコロ表面を反射した光が
カメラアイに届くまでの経過時間という

まずは設計上の物理現実 光の速度のこと 忘れてる
イメージ入手と現場時刻の違い




では、本格的に 写真詳細を分析演習して

観察対象と
カメラアイの立ち位置 等々の

登場人物の配置図を Wimbledonセンターコートに描き
舞台建設しよう

主人公は 俺でも貴殿でもない 光(ひかり)



Dürer & 測距儀 開眼02a3 親亀 子亀 孫亀 - Togetter
https://togetter.com/li/1501206




timekakura togetter 仕上 20190905 まとめリンク







補足説明 あった場合 ここに追記。






以下は 作業用 編集残滓。

次回以降のもの だったりします。





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timekakura togetter 仕上 20190905 まとめリンク



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